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2012年10月21日日曜日

イミグレの憂鬱





ここに来た時はいつも、

自分が他所から来た人間であることを強く意識させられる。

ネパールのイミグレーションオフィス(移民局)。

ビザ更新や切り換えのために、これまで数回訪れている。




特に理由もなく“来週また来い”とか、

長時間並んだのに、目の前でカウンターが閉じるとか、

どんな理不尽を目にしても、ここではみんな大人しい。

とにかくビザを貰わなくてはいけないから。




やや言葉をはばかりながら言うと、

残念ながらネパールの役人さんたちの多くは、

正直さやプロ意識をすっかりお忘れになっていて(笑)、

“居住”という最低限度の権利を望む外国人たちに、

結構大胆に正規料金「以外」のものを公然と要求したりする。



これだけ払えば順番を早くしてあげるよ、とか、

書類の不備も見逃してあげるよ、など

座っているだけで、彼らにとってのいわゆる“チャンス”が

いくらでもやってくる。





ある国の人たちは、微塵の躊躇いもなくそれに応え、

輝くビザのシールにオフィサーのサインを手に入れる。

行列する皆が見守るなか、えんじ色のパスポートを鞄に仕舞い、

彼らは真っ先にここを去っていく。




誰かが抗議をする訳でもなく、

いくらかの羨望と失望が入り混じった空気が流れるだけだ。






ネパールとなると、人種のバラエティに加えて

そのメンツもユニークになる。


自分探し系の若者はもちろん、

腕っぷし屈強な山岳おじさん系、

トレッキングを続ける、ブロンドのお洒落な山ガール(古い?)系、

白くて長い髭を蓄えた、よれよれのタンクトップのヒッピー仙人系。




あらゆる人種の、これまたいろんなタイプのヒトビト。




その全員が一様に大人しく、時に歯をくいしばり(笑)、

印象よく笑顔を浮かべようとする絵はなかなか得難いものだなぁ、

などと考えながら、ここでの憂鬱を紛らわしている。





悲喜こもごもの、移民局



           








 

2012年10月14日日曜日

カトマンズで、石窯ピザを



用事が終わり、いくらか時間があったので、

前から気になっていたイタリアンレストラン “Roadhouse Cafe” に行ってみた。


ウォルナットか、落ち着いた色の床と調度品に

ここがネパールであることをちょっと忘れてしまう。


客のほとんどは欧米からの人々で、

街中よりもリラックスした顔で、もぐもぐ食べながら

一生懸命英字新聞を読んでいる。

彼らにとっての、“普段” を味わっているように見える。





バーカウンターも




日差しを歩いて疲れたところで、

冷たいビールを頂いて、席からよく見える石窯で焼いたピザが出てくる。



バジルの香りもしっかり。香ばしいチーズにコシのあるピザ生地。

オリーブの実に詰まった酸味も、快い。


ソースの味も、嫌味のない自然なものだ。


街の食堂で「ピザ」と銘打ってあるそれとは

全く違う、本当に美味しいマルガリータ。



蒸したチキンを削いで、新鮮なトマトや青野菜と巻いた、

“チキンラップ”なるものをドレッシング風のソースにつけて齧る。




歩いたあとのビールは、こたえられない。

焼きたて、直径30cm。




この国で必ず入る香辛料とは

一切関係のないひと時。


たまにはいいもんである。




後発国であっても、ここは人口300万の首都。

もちろん日本ほどではないものの、

外国人を楽しませるものは結構何でも揃っている。







13%の税金も、もれなくついてくるけれど。




これを見ながら食べるのも、楽し。











 

2012年10月12日金曜日

鳴いているのは




カトマンズには野生のリスが街中にふつうに住んでいて、

時々電線や木の枝をすばやく走っているのを見かける。



一度始めると結構長い時間、鳴き続ける。



でも実を言えば、最近までそれがリスの声だとは全く知らず、

どんな鳥が鳴いているのか何とか見届けたいと思っていた。



ある日の午後にも、声が聞こえたから、

その木を改めて、凝視してみた。


1秒ほどの間隔を置きながら「キャン!・・・キャン!」という声。

それと、大きな尻尾がシンクロしながら揺れているのが見えた。


望遠レンズで覗いてみれば、その正体はリスだったという訳だ。





別の場所にいる仲間への呼びかけか、異性へのアピールか。

その目的はわからないけれど、

距離にしてここから30か40mもあるのに、

小さい身体から出る甲高い音は、とにかくしっかり届いてくる。



餌付けなんかは、できるのだろうか。

チャンスがあれば今度はもう少し近くで、撮影してみたい。




鳴くたびに、尻尾が上に大きく上がります。
 











 

2012年10月3日水曜日

ハジュール!




この国にきて以来、「ハジュール」という言葉を聞かない日はない。




定義はとても難しい。


名前を呼びかけると、相手は答える。「ハジュール!(はい)」


「元気ですか?」 「ハジュール!(元気です)」

電話を取って最初の一言、 「ハジュール!(もしもし)」



「いい天気ですね。」  「ハジュール!(そうですね)」

「この先をこう行って・・・」 「ハジュハジュ(はいはいなるほど)」 

「それから右に曲がって・・・」 「ハジュール(了解)。ダンネバー。」という相槌にも。



相手の言う事が聞こえなかったときに、 「ハジュール?? (いま何と?)」と訊き返し、


店先で 「ハジュール!(誰か)」と呼びかければ、中から店主がやってくる。





意味を持つ言葉であると同時に、合いの手や、記号のようでもある。

独特の機能を持った言葉だ。



使い方を覚えた僕は、妻への返事に最近これを使っている。

仰せつかる用事に、いろいろな思いを込めながら(笑)。



「クロちゃん!」


「ZZZ・・・ハジュール?」















 





 

2012年9月13日木曜日

季節は2つ





四季のある日本にいると、

季節の変化の“兆し”に触れる機会が、年に4度はあるわけで、

それに対する直感も経験も養われるようだ。

ちょっとした朝晩に冷えを感じて、もうすぐ寒くなりそうだとか

日差しの柔らかさを見て、春も近いだとか。

それなりに予想は当たり、心と身体はそれに備える。







雨季の終わりが近い、と自分なりに感じ始めてしばらく経つのに

いまだ雨は続く。

カトマンズに住むようになってからは、勘も鈍っているようで、

あまり予測が当たらない。

ちょっとした変化をわざわざ捉えてみても、

大して意味がないようで。




では数値化しよう、とカトマンズの天気図をネットで探してみた。

そして気圧の表示を2度、見直す。



「862.2HP」 



・・・この国の表示はどうかしているのかと思ったが、

冬場の気圧も遡れるので見てみると、「1018HP」あたりで推移している。普通だ。




これでは最近沖縄を通った巨大台風の中心気圧よりもずっと低い。

海がないからいいけれど。



調べてみると、西アジアにできる低気圧と、

カトマンズの標高(約1400m)とが相まって、こんな数値になるらしい。




僕は毎日、強烈な台風の目の中で暮しているのか。

急に人間の身体の適応能力に感心し、

自分の手を見つめてしまう(笑)




雨季か、乾季か。季節は2つ。


細かい変化に気付くような風流はないけれど、

この気圧が少しずつ上がって、屋台の果物がまた変わる時、

乾季に向かっていることを、感じるのだろうか。




そういえば、虹も多いこの頃。








今の旬はザクロ、リンゴ、そして梨。
バナナはいつでも。










 

2012年9月8日土曜日

街のこと - リングロード





京都は「碁盤の目」と言われる四角い街。

カトマンズは、なんとなく「卵型」。


その形に沿って全長約27kmの「リングロード」と呼ばれる道が走っている。

幅は大きいところで40mくらいだろうか。

名前の通りのリングだから、走り続ければいつか同じところに戻って来れる。

つまり、このリングロードをたどっていくと、カトマンズの大抵どこにでも行けてしまう。

もちろんショートカットは幾らでもあるけれど。



リングロードを南北縦に割る、通称「5番道路」があり、


その道とリングロードの最北の交点は、「チャクラパット」*と呼ばれている。


南東角からすこし南に巨大なアメリカ大使館、

北東にはカトマンズきっての大型スーパー「バトバティーニ・スーパーストア」がある。

カトマンズでは知らない人はいません。
ホコリまみれの看板ですが。
http://www.gosur.com/en/point/99054/




市内各方向にバスが発していて、いわゆる「交通の要衝」と言える場所だ。

西に行けば、お馴染みの世界遺産、仏塔「スワヤンブナート」(スウェンブー)、

東に行けばトリブヴァン国際空港方面へ。 

やがて2つの道はリングロードの南端、「パタン」という街で出会う。

市内の要所要所で、大きな道と交差しては、

それぞれに繁華な商業地区を作り出す。






車線はいくつ?という問いはほぼ無意味で、

速い奴らが前に出るデッドヒートがいつもある。


車検という概念のないエンジンからは真っ黒な煤煙、

弱い路面と未舗装の路肩からいつも凄まじい埃が舞い上がる。


挑発か威嚇か、クラクションの応酬に目がくらむ。

微妙な左右への蛇行にアップダウン、突如現れる大きなへこみに、

バスの乗客としては一瞬たりとも気は休まらない。

降りた時の安堵感といったら。



そして悠然と歩く牛たちに、交通社会のリズムは乱される(笑)




Google マップの色合いは世界各国同じだけれど、

現場はかなり、シビアなのです。

夕方ラッシュのチャクラパット。
バス、車、バイク、自転車に歩行者ときどきリキシャ。
ホコリ、ほこり、埃。
何とかならないものか。







我が家の屋上から。
画面中央、左右に走る木々が、リングロード路肩の植え込み。




*ネパール語で“リング(輪)”は“チャクラ”、“ロード(道)”は“パット”。
 

 つまり、リングロードをネパール語で「チャクラパット」と言う。

 正式名称は「ナラヤン・ゴパール・チョーク」。

 国民的歌手にちなんだ名前とか。
 

  

 リングロードの中でも代表的な交差点(チョーク)であることがその所以と思われる。
 

 京都の長い河原町通りも、四条、三条あたりを「かわらまち」と呼ぶように。

 
 

 
 
 

 

 


















2012年9月5日水曜日

アンナプルナの山々に5




宿の皆が食事を終えるころ、

厨房の中でネパール人たちが

ネパールの地酒ロキシ―を片手に盛り上がる。



明日の朝食メニューを見に行っただけの僕は、彼らに即座につかまって、

自家製のロキシーをあてがわれて座る。

少し荒削りな米焼酎のような味。でもやわらかくて香ばしくて、すぐに好きになった。



ディパックは皆の真ん中で楽しそうに話し、

時に踊るような大きな身振りとオチで笑わせる。



うまくいっていないビジネスをネタにしているようだ。

心から楽しそうに。

そんな気持ちとみんなの笑う声が部屋に充満していて、

冷え込むヒマラヤの夜もここだけは暖かく、ゆっくり時間が流れる。


各国のトレッカーたちのリラックスもいろいろで、

ドイツの青年たちは素早くベッドにもぐったのか、部屋から物音ひとつもしない。



アメリカ人カップルは、屋外のテーブルで二人、温かいロクシーを飲みながら、

「ショウチュウに、ウメボシいれて飲みたい」などと言っている(笑)

日本で住んでいたことがあるとか。



ネパール人たちはお酒がすすんでくると、なぞなぞを言い合ったり、

おバカな話でゲラゲラ笑い、大盛り上がりするのが好きだ。



ひとしきり笑い、明日のコースを確かめあうと、さすがに眠気がやってきた。

明日は朝の7時発。寝よう。



その数秒後。

2階に上がる階段で、

満天の星に、息をのむ。



宿の庭で。

  
 


石の屋根瓦。留めるための楔(くさび)まで石でできています。
 

宿から見下ろすと、ミュール(馬とロバの掛け合わせ)
周りが静かだから、2階まで草を食む音がはっきり聞こえます。









 

2012年8月23日木曜日

時計をのぞけば





街を歩いてふと時間が気になり、

袖をまくって時計を見た瞬間、すれ違うおじさんが何か話しかけてきた。

何を言ったかすぐにわからず、訊き直すと、



「いま何時?」



「え?2時だけど・・・。」 

おじさん、頷いてそのまま立ち去る。




今日も雨のなか、すれ違いざまに時間を訊かれる。

もちろん時計を見た直後にだ。



そしてまた午後にも、時計をのぞいたその刹那、

「何時?今。」 

こちらをじっと見つめてる。


さすがに面白くて、つい笑いながら教えてあげた。



「すみません・・・」から始める訳でもなく、

時間を訊ねるにあたっては、何の躊躇いもない。



みんながみんな、時計を持っているわけではないから、

「公」の情報は共有すべきとの意識、だろうか(笑)




そういえば子供のころ、道行く大人に時刻を尋ねたことが、

あったような、無かったような・・・。



テンプーの中、妻と記憶をたどってみる。




ヒマールが、帰ってきた!







2012年8月8日水曜日

アンナプルナの山々に4



ティルケドゥンガ(ティケドゥンガとも)までの道のりは、

比較的整備の行き届いたトレイルで、

少しばかりの体力と、初日特有の興奮があれば、乗り切れる。




オタマジャクシの少年に別れを告げると、

道の勾配が少しついてきた。

川も眼下に流れ出す。



砂利道はやがて石畳に、時折階段のようになり、視界の両脇には

濃い緑色の棚田が続く。

急斜面に、小刻みに作ってあるから

西日が差してできた影が、くっきりと縞模様になって見える。

目に癒し。



途中に茶店がいくつもあり、


さっき追い抜かれたグループの休憩を横目に、また僕らが前に出る。


次の休憩で、抜かれる。


お互い何となく顔見知りになって、軽く手をあげて挨拶をする。



そんなことを幾度と繰り返して、昼の3時頃だろうか、

ちょうどいい高さの石のベンチに腰かけていると、野球帽をかぶった小柄な男性が近づいてきた。


彼の、笑顔でゆっくりとした話しぶりに、引き込まれる。




今日はどこから来たんだい?どこまで歩く予定?




たどたどしくネパール語で答えると、彼は一層笑顔になって、

いろいろな事を訊ねてきた。


アンナプルナは何回目?

日本にはこんな山はあるのかい?山登りをする人は多いのかい?

ベースキャンプへは行くのかい?

この旅の目的地は?


矢継ぎ早なのに、ゆったりとしているのはなぜだろう。

気が付くと、ずいぶん長く彼と会話を続けていた。




彼は言う。

この先のヒレまで行くと日が暮れるし、

このあたりは景色もいい。

今日もしこの辺で泊まるなら・・・とにこやかに、僕らの背後にあるロッジを指さした。

「僕の、宿なんだ。僕の名前はディパック・シェルパ。」





こんな呼び込み、はじめてだ。長い会話のその後に、結論が待っていた(笑)。

陽は傾いて、涼しい夕風が吹いている。

断る理由はひとつもなくて、妻と顔を見合わせて笑った後は、

彼の後について、2階端の部屋へと案内された。



設備のひとつひとつを指さしながら、


丁寧に説明してくれる。さっきの会話と同じ速さで。


シャワーやトイレの場所、食事の時間に洗濯のこと。


話し終わると彼はまた、「ゆっくり休んでね」とにっこり笑い、

階下の厨房に、入っていった。



靴を脱いで、ベッドに腰かけて伸びをして、そのまま後ろに倒れ込む。

細い角材を組んで、ベニヤを貼って、白く塗る。古くて、ごく簡易なロッジではあるけれど、

これまでたくさんのトレッカーを迎えてきた歴史は、しっかりと刻まれている。



期待を超える温度のシャワーを浴びて部屋に戻ると、

2階も、1階も、全部の部屋が埋まっていた。



ディパック・シェルパの宿、満員御礼。


ロッジ全景・・・味があるのです。
ぎしぎしへこみはしますが・・・味があるのです。




味のある、看板。



 

ささやかな、夕食。一応「春巻」とのこと。
うまかった!
脱いだ瞬間、報われました。








2012年8月4日土曜日

アンナプルナの山々に3



いくつかのロバの隊商とすれ違い、

山道を行き交う人々の姿にも慣れてくると、だんだん目新しいものを観たくなる。







そんなタイミングで、道はやがて崖下に近づいて、

流れている川に沿って歩くようになった。


カトマンズを流れる川とはまったく違う透明な、まさに清流だ。

子供たちが水着も付けずにダイブを繰り返し、大はしゃぎで遊んでいる。

しばらく進むと、腰に魚籠をつけて何やら捕まえている少年を見かけた。

爽やかな、ドヤ顔(笑)
大漁です。





























名前、年齢、住んでいるところを訊ねることは、何とかできた。



16歳。学校に通うというけれど、


僕らが歩いてきたあの長い道を行ったり来たりしているとか。

トレッキングなど、無意味に思える(笑)




そして獲物。

籠の中を見るとそこには魚・・・ではなく無数のオタマジャクシ!

今夜のおかずにするという。嬉しそうだ。うちに食べにおいでと言ってくれた。



ネパールの人たちは、決して建前ではなく、

我が家へ来てごはんを食べないかと誘ってくれる。

気持ちは嬉しいが、さすがに両生類は・・・。




本当はスケジュールなどないくせに、

先を急ぐ、と僕は建前を使わせてもらう。



水牛、というだけあって水と地上との区別がまったくないようです。

話している僕らの間に悠然と割り込み、川に入っていきました。








一緒に写真を撮ったので、

送るにはどうしたらいいかと尋ねる。


メールアドレスを訊ねると、その概念すら解らない様子だった。

そんな地域も残されているのだ。


きっと将来、彼がPCやネットに触れる日が来ると信じて、

僕のアドレスを残しておいた。



いつかもしメールが届いたら、

それは彼にもネット時代が来たことを知る時だ。




「今度いつ会えるか」と寂しそうに彼が言った時、


またアンナプルナに来たい、と思った。



まだトレッキング初日なのに(笑)。



世界各国から、トレッカーたちが。おもに中年が多いかな。
あ、僕もか。




2012年7月30日月曜日

アニーシャの歌声




階段を登りながら、降りながら。

空に昇っていくような、本当にのびやかな歌声で、

我が家の前をいつも通っていく女子学生がいる。



紅茶の産地、イラムからやってきたアニーシャだ。

国立トリブヴァン大学に通っている。


小さな村から、しかも女性では珍しい工学部の学生で、

驚くほど流暢な英語を話すところを見ると、かなり優秀なんだろうけど、

気取ったところが微塵もなくて、いつも明るい笑顔で近づいてくる。




ある時妻が、日本のカレーを食べないかと誘うと、

いとこのスナム君と一緒に来てくれた。




屈託のない2人と楽しい会話ではずむ合間にも、

アニーシャは綺麗な歌声でハミングをしている。

本当に歌が好きなのだ。





一度ここで、好きな歌を歌ってみてよとお願いしてみると、

急にはにかんで躊躇う。



そして短い説得(笑)の後、彼女は呼吸を整えて、

ネパールの古い歌を静かに歌い始める。少しばかり震える声で。



やがて歌声はしなやかに安定し、ひんやりした夜の空気に響きはじめる。




絵が、見えるのだ。

少し翼の大きな鳥が、おおらかに滑空をしたかと思うと、

すばやく高度を上げてはまた、降りてくる。

時にすばやく、時にゆるやか。変幻自在とはこのことだ。

流線の体に、一切の空気抵抗も感じずに、目の前を流れ飛んでいくような。

後ろには、ヒマラヤ。曇りのない、夕焼けの空を想わせる。




少しばかりわかるようになったネパール語を追いかけるのをもう止めて、

ただ見飽きることのない映像に、僕らは言葉も出なかった。




歌い終われば、彼女はいつもの笑顔で恥ずかしそうに笑う。




食事の後、彼らは今度故郷のイラムに一緒に来ないかと、誘ってくれた。




彼らが「楽園」と呼ぶその村で、この歌声を聴いてみたい。



雨季の晴れ間の、澄んだ空。




















2012年7月22日日曜日

クロちゃん



最近、犬を飼い始めた。




とは言っても、野良犬の1匹に名前をつけただけなのだけど。








クロちゃんがアパートの踊り場に泊まりに来るようになって、しばらく経つ。





3ヶ月ほど前のある夜、家の扉が何かに引っかかって開かないので、


無理やりドアを開ける。


何か黒くて丸いものがズルズル、と向こうへ動いたかと思うと、

暗闇の中でのそりと立ち上がり、面倒くさそうにこっちを見ている。

こちらはぎょっとするのだが、また何事もなかったように、身体を丸めて寝てしまった。

・・・以来のことだ。




極めてもの静かなタイプで、近所でもずいぶん愛されている。

餌をもらってはいろんな家の前で、番犬の“フリ”のバイトをしている。



けれど帰ってくる僕らを見つけると、耳と尻尾を静かに振りながら、一緒についてくる。

雨季の今は何より、雨をしのぐ屋根が大事な訳で、

誰と仲良くすれば良いか、じゅうぶんに心得ているからだ。




いくらか遠慮がちで、吠えもせず、困った顔で見つめられると、

僕らはスーパーで思わず、“ぺディグリーチャム”なんかを買ってしまったりしてしまう。





そうこうしていると、茶色の可愛い彼女を連れてきた。

 数メートルの距離を置いて、上目づかいで、

あのぅ、できればこの娘も泊めてやって欲しいなぁ、というアピールを静かに始める。


あっ、でも無理ならいいんです、

別のところで寝ますから的な「引き」も忘れないから、こっちも辛い。




しなやかに生きるカトマンズの犬たちに、

今のところやられっぱなしの、妻と僕。


今日もふらりとやってきて・・・



重力に、すべてをゆだねる。大の字ではなく、「ヒ」の字になって。





















2012年7月16日月曜日

興味津々


伝染病がある、とか脅されるので、

玄関に提げて、蚊の類を寄せつけないようにする

いわゆる"虫コナーズ"というのを、日本から持ってきた。








使い始めのタイミングが分かるよう、



“お取替えカレンダー”と称して


表面に小さなダイヤルのようなものが付いている。

これが毎回見るたびに、最初の設定から動かされている。


妻と一緒に、何でだろう、誰だろう?と首を傾げていたら、

ある日犯人を発見。上に住んでいる、イラム出身の青年だった。






ヒンズー教のお札が、軒並み玄関で飾られている中で、

どうしてこの日本人の家には、同じくらいの大きさのプラスチックの“お札”が吊っているのだろう、

と常々思っていたらしい。


説明したら、謎が解けてスッキリしたと喜んでいた。





いろいろな場面で気付いたのはネパールの人たち、

何か興味を惹くものがあると、とにかくじーっと見とれたり、

手を伸ばして確かめようとする。





歩く僕らを、じぃっと見るのは日常茶飯事。

バスで財布を広げると、中身を覗き込んで来る人。

わざと彼らの顔を覗き返すと、はっと気づいて、お互いニヤリと笑う。

レジで清算する商品をカウンターに並べていると、

後ろにいた人が勝手に手に取ってしばらく眺め、

何も言わずに戻したり。



その時生まれた小さな衝動に、我を忘れては忠実に従っているようだ。

なんというか、幼子のように(笑)








しばらく後で、またダイヤルが動いているのを発見。

いまだ犯人はわからない。


虫~は玄関から♪

このダイヤルが見る度に。






2012年7月13日金曜日

電気ポットとクレジットカード


商品の故障、交換、クレームその他。

消費者の権利、というものがおおよそ重視されない。

返品して現金を返すなどは論外。

だからそういう交渉事をなんとなく諦める体質になっている。

でも今回はちょっと違う感じの展開になった。






1つ目。

電気ポットが故障したから、“一応”持っていった。

付き返されればほかの店で買うまでだ、と

いくらか強めの口調になる。



「数日で連絡します。」とのこと。




このまま電話がなくても、別に驚かないつもりだったが、

5日目に本当に電話があり、

「新しいものが届きました。すぐに取りに来てください。」






翌日。

店で担当と思しき青年に近づくと、満面の笑みで、

「Mr.〇〇、ご準備できております。」

というか、何だこの丁寧さ。


そしてあの壊れたポットが電源につながれて、

赤いランプを点けている!



確かに直っている。新しくはないけれど・・・。

いくらか得意げに、青年はまだ温かいポットを袋に詰めて、渡してくれた。






2つ目。

スーパーでビールを買い、クレジットカードを差し出した。

レジ裏の通信機から女性店員が戻ってきて、

「無効なカードだ。通らない。」と返される。

抵抗するのも虚しいので、おとなしく現金で支払った。





後日、カード利用を知らせるメールが来る。しっかりクレジットカードが通されていたのだ。

大した額ではないものの、2重で請求されるのは悔しいし、

何より使っていないはずのカードが通っているのは無視できない。


これはおかしい、サインをしていない、当日の記録を確認してくれ。


外人のクレームを店長は穏やかに迎え、

彼の名前、携帯番号を素早く書いて渡してくれた。明後日に連絡する、とも。

この対応にも内心あ然とする。

「話が通じてる・・・。」




再度来店してみると、

その日に売り上げた全部のクレジット伝票の束を持ってきて、一緒に確認しようと言う。

しかしどれだけ見ても、僕のカード情報は出てこない。



彼によれば、店員はカード通信機にカードを通したが、

最終的な決済処理はしておらず、

操作は未完了だったようだ。ただ、クレジット会社にだけは情報が流れていったから

請求予告に出てしまったのだろう。だから私が保証する。

君の銀行からその金額が引かれることは、決してない。

もしそうなったら、もう一度ここへ来て欲しい。


・・・・ということを、懇切丁寧に、穏やかに、時間をかけて、説明してくれたのだ。

あ然、とする。

「また話が、通じてる・・・。」


呆気にとられたまま、握手をして、別れた。







結果は・・・といえば、ポットはその3日後にまた壊れ(笑)、

クレジットカードはしっかりきちんと、2重請求になっていた。





何となく分かってた結末だけど、

今回はいくらかの“変化球”を、楽しんだ・・・という事にしよう。



暇があれば、屋上で空ばかりを。






モンスーン時期の夕焼けは、息を呑むほど美しく・・・




バナナの葉っぱも元気です。





























2012年7月8日日曜日

夏の恵み




行商が、季節の果物を売って近所を歩く。

直径1m、高さ50cmほどの網カゴが、自転車の後ろに取り付けられていて、

3週間くらいの間隔で、積んでいる果物が次々と変わっていく。

カトマンズの、亜熱帯らしい風景の一部だ。




もちろん店先にならぶ果物も、彩りを次々と変える。


次には何が来るのだろうという、期待をいつもしている。

いろいろな品種の細かいことは知らないけれど、

 果物が大好きな妻は、毎日本当に嬉しそうだ。




黄色に始まったマンゴーが、今は緑に。

シーズンの始めから旬に差しかかると幾分値段は上がるものの、

ネパールでは驚くほどの甘さのマンゴーが、

1kgあたり今は70NRsから80NRs(70円~80円)。



毎朝の朝食にも頂いて、おやつにも頂いて、夕食後のデザートにも頂いて。




鮮やかな色、手に持っただけで漂う甘い香り、ずしりとした重み。




プレイステーションもWiiも持たない子供たちが、

この季節の恵みを、笑顔で両手に抱えている。







見た目は素朴な。 Jack Johnsonを聴きながら食べると、気分はハワイ(笑)





















2012年7月4日水曜日

モンスーンが来て



中学のときに習った“モンスーン”は確か、“季節風” としか説明されなかったけれど、

世界の各地にそれぞれのモンスーンがあるらしい。


ここに吹くのは、いわゆる“インドモンスーン”で、インド洋からの暖かい湿った風だ。



ただ、ちょうど日本人が “梅雨”という言葉を使うように、

ネパールでは、“モンスーン”は単純に雨季を表す。


日本の梅雨よりもはるかに長く、これから9月の半ばまで続くそうで、

年間降雨の4分の3はこの時期に降ってしまうのだとか。







そういう訳で、結構な雨が毎日降っている。

夜中から朝にかけて、はたまた日中突然に。





雨は長時間降り続くことはあまりなく、断続的だ。

1時間、2時間と降ったあとは、強烈な日差しに素早く地面が乾き、

すぐにも風が地面の塵を、巻き上げる。


低く、地表にからんだ雲が、緑の山々にくっきりした影を落とす。





遠くはいつも霞んでいるから、

その向こうにヒマラヤが見えていた頃を、時折忘れてしまいそうになる。

秋までは多分もう見れない。




水と電気がずいぶん戻ってきた。

今後しばらく、蛇口をひねれば水が出る。

スイッチを入れれば灯りが点く。

冬を越えた今では、

1日5時間の停電にも、不自由のない暮らしができる。


雨に霞む。オレンジの屋根はカトマンズ・ハイアット。


インドハッカの夫婦。雨の合間に。


















2012年7月1日日曜日

アンナプルナの山々に2

出発直後の腹ごしらえに、やや重い身体でパサル(店)を出る。

アヒルの赤子たちに見送られて、いよいよトレイルに。

今日は標高1500mのティルケドゥンガを目指して歩く。



保護色?近づくまで存在に気が付かず。




ヒマラヤの高地民族グルンの様式は石の多用が特徴だ。

家、蔵、そして石畳と、独特な雰囲気に気分も高揚するが、

ほどなく砂利道にかわり、ここから延々と同じような道と景色が続く。




集落を抜けると、とたんに静かになり、崖下を流れる渓流の音が上ってくる。

まだはるか前方なのに、こちらに向かうロバの鈴が、

切り立った斜面に反射しながら聞こえてくる。

カトマンズでいかに騒音に囲まれていたかに改めて気づいた。




やがて近くの集落(といっても結構な距離だが)から出てきた

シェルパ族の子供たちが近づいてくる。

トレッカーたちにお菓子やお金をねだるのだ。



日本人によく似た顔立ちに他人とも思えず(笑)、

「大人になって、働いてお金を稼ごうな」

などと説教くさいことを言っては、やり過ごす。                                     



妻に駆け寄る、シェルパの子供たち。
妻を見切った後(笑)、こちらにやってきた。



























ある事に気付く。


この道から枝分かれして、いくつもの集落があるのだけれど、

そこから来る人みんなが、(小さな子供からお年寄りまで)

両肩からたすき掛けになったような服(?)を身に着けているのだ。



そして僕らを追い越していく人々の後ろ姿に、

その理由がわかった。




山を下りては登る度に、決してむなし手で帰らないために、

その服の背中の空洞に、何某かのモノを入れているのだ。


缶詰。果物。野菜ときにはニワトリを(笑)。


左右均等に重さを分散できるから、体力も温存できそうな

元祖バックパック。



高地に暮らす人々のシンプルな知恵に感心し、

また、歩きだす。

最初はユニフォームかと。














2012年5月22日火曜日

カトマンズの“鳥説”- ソウゲンワシ

ナガルコットで宿泊したホテルは、

見晴らしの良い断崖絶壁に建っていたから、

夕刻になんとなく望遠レンズでトビを追っていた。



あまり見慣れない鳥がファインダーに飛び込む。

よく見るとトビよりもふた回りは大きく、背中の模様が印象的だ。


画像で検索してみたら、ほぼ間違いなく「ソウゲンワシ」とわかった。


目測で翼長2mほどはありそうだ。悠長なタイプの鳥らしいけれど、


なぜか一生懸命トビを追い払う動作をしている。目ぼしい餌でも落ちているのか。



トビが逃げ惑う





悠然・・・




数年前まで2羽のチョウゲンボウ(小型のハヤブサ)を飼っていたので、

猛禽を見ると、僕も妻もいくらかテンションがあがってしまうのが常だ。


峡谷に立つ、何本かの気流の柱にかかる度、

急激に上昇しては視界から幾度も消えてしまう。

斜め上に行ったかと思えばまた、

大きならせんを描いて降りてくる。

滑空とはよく言ったものだ。滑っているようにしか、見えない。



彼らの目には、この熱の柱が見えているのだろうかと思うほど

この仕組みを自在に使って飛び続ける。



20分ほど経ったころ、

もう上昇するサイクルには入らずに

下降だけを始め、細い川の流れる谷底に消えていった。



翌日、テルコットまでの道のりで、2度ほど木の枝にいるのを見かける。

体重はおそらく5㎏ぐらいあるのだろう、

留まった枝が大きな弧を描いて曲がっていた。






2012年5月20日日曜日

バンダは続く

王様がいなくなり、

民衆が自分で治める国になっておよそ4年。

揺れ動く政治と、あおりを受ける一般の暮らし。

僕は新聞を斜め読みするばかりの外国人だが、

最近ようやくその混乱を実感できるようになってきた。

ネパールバンダ -ゼネスト- が、かつてない頻度で起きているからだ。



王政廃止のあとに定められた暫定憲法が、

今月末を期限に正式憲法に変わろうとしていて、

各政党が要求を主張しあっては、今とばかりにバンダを繰り返している。




ひとつのバンダが解除されると、今度は別の政党が実施する。

大抵のデモや抗議で人が死に、あるいは傷ついている。

警官の動員バランスが崩れて、犯罪も増えているとか。


国民の利益と称していても、国民をいわば人質にとる。

不条理だが、この方法を一つ覚えのように続けている、


ネパール連邦 “民主” 共和国。




店も、交通機関も、官公庁もマヒした状態が数日続くと、移動も買い物もままならない。

子供たちの教育も、止まったまま。



唯一良いことには、工場が動かない分、停電が少くなる。

家に居ろ、ということか(笑)




近所の人たちは、バンダのない日本を羨ましいと言う。

テクノロジー、経済、仕事そのほか、ネパールにないものがたくさんあると。



けれどたくさんの日本人も日々の煩いや不安でいっぱいだよ、と言えば

ぽかんとした顔をする。

彼らの夢を壊すから、それ以上、日本のことは話さないけれど(笑)



目の前の騒乱を解決したいという思い。

将来への漠然とした不安をぬぐいたい、という思い。



国は違っても、
対峙するものは、同じではないかと思う、ネパールバンダの1日。


グルン族のおばあちゃん。コーラぐびぐび・・・味わって飲んでました(笑)












車を「手作業で」解体。夕方には跡形もなく。
脇目もふらず、働く人たちでした。

リキシャのおじさん、爆睡。
この距離でもいびきが・・・


父さんお迎え。タメルで。




















2012年5月12日土曜日

アンナプルナの山々に1





今回のトレッキングでは、3つばかりの狙いを定める。


1.プーンヒル(3190m)でアンナプルナ連峰の夜明けを観る

2.ワンランク上の体力を身に着ける(笑)

3.ネパール語を使って、現地の人たちと会話をする



早朝のタメルから、インターシティーのバスで6時間、

カトマンズから西へ200kmほどのポカラを起点に、アンナプルナ自然保護区を歩く。


ナヤプル、という集落がこのコースの開始点で、

そこから15分ほど進んだビレタンティという村にチェックポストがある。

あらかじめ取っておいた保護区への入域許可証を提示して、半券をもぎる。

名前、国籍、パスポート番号などを台帳に書き込む。

新緑眩しい・・・

















さらに歩くと、

今度は別の窓口でTIMS(Trekkers' Information Management System)という、

これまた事前に取得した、別の登録証を提示する。



ガイドやポーターを雇うのか雇わないのか、

なんだかんだのやりとりで、なかなか前に進めない。



コースに沿って流れる川を渡り、いよいよ・・・と思って歩き出すと、

先ほどの窓口のお兄さんが笑顔で前からやってくる。

渓流に突き出した眺めのいいテラスを指さして

「ここはうちがやってるんだ。チヤでも?」

というわけで早速の休憩。



進まないトレッキングのはじまり、はじまり。

石畳の道を歩き出す



笑う鈴。ロバ用か?

チヤだけのつもりが、珍しさで注文した川魚。
味は・・・ふつう(笑)

物資を運ぶロバの隊商。このあと幾度も出会います。