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2012年1月23日月曜日

翼に映る





飛行機に初めて乗ったのは、福岡の祖母の家に行ったとき。

何日も何日も前から、その日が楽しみで眠れなかったことを覚えている。

父に連れられて空港まで来ると、兄と二人でダグラスDC-10に乗り込んだ。











































きれいなフライトアテンダントがくれた飛行機のおもちゃより、

出されたオレンジジュースの甘さより、

同じ目線にある雲と、抜けるような青空にくぎ付けになった。




生前、父が好きだった韓国。

今、その上空を飛ぶ。


翼に映る空を観たとき、

信じられないほどの鮮明さで、あの日の記憶が帰ってきた。

2012年1月16日月曜日

タタ・ナノ

街中でみかけるこの可愛い車は、インドのタタ・モータース製の「ナノ」という車だ。

極限までコストを下げて、当時業界で最安のスズキ・マルチの半額、10万Rsという価格で衝撃を与えたモデル。

ミラーは運転席側だけ。
エアコンもちろんなし。
ワイパーも確かオプションだったか。

当然、安全基準の高い日本では合格しない作りだけれど、
その割り切り方に当時の業界みんなが驚いたから、よく覚えていた。

毎日のように見かけるが、さすがにミラーは両方ついている。

甲虫っぽい。













カトマンズに限らず、アジアの国々には無数のバイクがひしめきあう。

もうなんというか、どの交差点でも、
信号が変わればマラソンのスタートのようにごった返す日常だ。



安いバイクが5,6万Rsで買えるのに対し、

インド・スズキのマルチ800という小型自動車(写真:ナノの前後にいる)
はおよそ20万Rs。

当然バイクの普及率は高くなる。

法規制がないのか、一家4人がバイク1台にまたがって移動する姿もざらに見られる。

でもそんな「4人」を雨の日も快適に運べないか、ということを
大財閥・タタの社長は思ったらしい。
途上国の日常を、なんとか変えたいと。
ちょっとだけ心温まる話だ。


しかし現実はここ2、3週間、物資の不足でガソリンスタンドは閉まりっぱなし。
やはり燃費のいいバイクが強い。

まずはインフラをなんとかしないと、夢も走らないネパールなのだ。

2012年1月14日土曜日

Tip of Himalayas

晴れた日には大抵、カトマンズをぐるりと囲む丘の向こうに、

ヒマラヤ山脈の先っちょだけがたくさん顔をのぞかせる。

街のどこから見るかによって、姿がどれほど見えるかが大体決まっているが、

この日僕らが歩いたスンダーラというエリアからは、かなり奥ゆかしい先っちょ(笑)。


盆地の中だけが暖かく、薄着をしている人々の活動、

緑の丘、真っ白な山々が対照をなしている様子はいつ見ても新鮮だ。

朝夕の気温差を感じるよりも、この忙しい街が標高1400mにあることを実感する。





夕日が迫ると、きちんとピンク色になります。



















極寒の世界の手前に咲く、ブーゲンビリアを重ねて撮りたいと

常々思っているけれど、タイミングが合わず、まだ実現できていない。




カトマンズで「一番」高いビムセンタワー(52m)
登ればもっと見えたけど、デモ隊がいたので止めました。





2012年1月13日金曜日

数字から

モノを買い、モノを食べ、水を飲み、電気を手に入れ、日々を生きるために

やはり現地語に馴染まなければダメなわけで、

ネパール語に必死で取り組む毎日でもある。

発音や文法が日本語にやや似ているとタカをくくっていたけれど、

数字から困るのが現実だ。そう、数字から。



すべてネパール語なのだ。

ひとつひとつの数字が、これまでまったく使ったことのないものばかりで

読むのも書くのも一仕事。


しかも2桁以上の数字になると、各数字が独特の読み方を持ち、

法則性がなんだか弱くて、かなり覚え辛い。



一例を挙げてみると、


「29」は「ウナンティス」と読む。

で、「30」は「ティス」。

(どうやら「ウナン‐」は「一つ少ない」というような意味らしい。)

では「80」が「アッシー」だったら「79」は何と言うか?



さっきの法則を借りると

ウナン アッシー」 になって欲しいところ。

でも正解は

ウナシ」と聞こえる。

発音の問題かと思うが、こんな具合に変わるから厄介だ。 


もうひとつ無理にあげるなら、

「70」は「サッタリ」。 では「69」は?

さっきの「ウナン」を使うとして、「ウナンサッタリ」と思うけど、正解は

「ウナン ハッタル」(笑)。

・・・約束が違う!と叫ぶも空し。


子供に戻るのだ、戻るのだ、と己に言い聞かせ、
ひねもすヒマラヤの麓、ヘタ文字を綴る・・・・。







2012年1月12日木曜日

情報の値段

ネパールに来て1か月と少し。

お店で手にとる品物の値段の相場がだんだんわかってきた。

日本と同じくらいのもの。断然こちらが安いもの。その逆。





でも大きく予想を裏切られたのが、新聞の値段だ。

通りすがりのパサル(店)で、現地で一番よく見かける

The Himalayan Times を選び、50ルピー紙幣を出したら、

店主がやや慌てる表情を見せた。





料金の不足を伝えるのに困っているのだろうと思い、

お金を追加する準備をしていたら、

いったん引っ込んだ店主は、戻ってきて47ルピー(!!)を返してくれたのだ。

なんと、新聞はたったの3ルピー(3円弱)。

新聞を買うのに50ルピー紙幣を出す人などいないのだ。


いつも日本の駅のホームで、
夕刊を50ルピー(笑)で買っていた僕は
なんだか得をしたような気分で、お釣りをポケットにねじ込んだ。

もっと情報収集に励もう、などと意気込みながら。

名前ほど、値段が高くないのが良いところ。















翌日、今度は別の新聞、 The Kathmandu Post を手にとって、

ためらうことなく3ルピーを差し出す。しかも貴重な小銭で。

店主、少し困った顔をして僕に手のひらを向ける。




こっちは、5ルピーだった(笑)。




2012年1月10日火曜日

停電に、一矢報いる



停電対策に、“インバーター”をアサンの電気街で買ってきた。


通電時間帯に500Vのバッテリーを充電しておき、

停電が始まると、いくつかの電灯と無線LANルータを動かす電気を供給できる。


みんな工夫をして毎日を生きる、途上国ならではのアイテムだ。



モノを動かすのに、モノが要るのです。














午前に約束していた電気屋さんが、
てきぱきと作業を済ませてくれた。驚くほど。


部屋の明かりがひとつずつ点いていく様子に
いちいち感動して、どの部屋にも付いて廻る(笑)。


小一時間で、電気もネットも無事開通。

これでもう暗闇で仕事をしなくても、良いはずだ・・・多分。



ガス屋への道で。どうも最近この帽子が流行っているような。














この調子で、
今度は空になったストーブのガスを買いにいこう、
と気分良く出かけたら

店のお兄さん笑いながら、

「在庫が次に入るのは、3日後だよ。」

・・・あえなく玉砕されてしまった。



明るくても、寒い夜が更けていきます。。。






2012年1月8日日曜日

律儀なのか何なのか・・・

電力のほぼすべてを水力に頼っているので、
停電は避けられない、ネパールの冬。

最近は10時間ほどを
1日2回に分けた形で電気が止まる。


今日は正午に戻るはずの電気が、
2時間も遅れてやってきた。

当然ながら予定は狂う。

最初の頃はずいぶん損をした気になっていたけれど、
毎日の事だから、もう怒らないと決めている。

来ないものは、来ない(笑)。

停電の友、iPad。














夕方スーパーで買い物をして、
家に帰るとすでに停電 “夜の部”。

暗い中、妻と食事を作り、
ホタルの光で食べていたら1時間早い灯りが点いた。
昼間の超過分を、律儀に返してくれたのか。

でも実は担当のお兄さんが、切り替えボタンをうっかり忘れただけかもなぁ
とも思うのだ。

慌ててボタンを押す様を、勝手に想像してみたりもする。


































2012年1月6日金曜日

情報錯綜…

在留届を出しておくと、大使館からメールで時おり情報が届く。

数日前にバンダの予告があったので、その日は外出せずに家で仕事をする予定を組んでいた。
バンダの朝は車も走らず、騒がしいカトマンズは嘘のような静けさに包まれる。

よそ者の立場としては気楽な1日だ。


新鮮ゴーヤのチャンプルーなのです。

















アメリカからの友人に何気なく、
明日のバンダは予定通りだろうかと訊いてみると、
彼はバンダの予定すら知らず、ずいぶん感謝されてしまった。

無駄足を踏まずに済んだと。

アメリカ大使館も把握してない?
少し不安になった僕は
マイクロバスの運転手に片言で聞いてみた。
が、即座に “そんなものはない” と言う。

どういうことだろう?
彼らにしても死活問題だから情報には敏感なはずだ。


でも次に乗ったテンプーの乗客と女運転手は、

“明日はバンダだから”・・・とため息をついている。

困った。どれが正しいのか?




家に帰って、停電明けを待ってメールを受信。

大使館からの新しいメールあり。



「マオイスト非認証兵士*によるストライキが行われる。現在のところ中止の情報はない」とのこと。

幾分安心して眠りについた。



翌朝。

いつもと変わらない喧騒に目を覚ます。
学校に向かう子供たちの声、クラクション、行商…。

日本政府の情報さえ、やっぱり揺れ動くのがこの国だ。

いつもと何も変わらない、カトマンズの朝が始まった。

学校へ。何を思ふ・・・





















*マオイスト:

毛沢東派のネパール政治勢力。かつて人民解放軍と称して武装蜂起やゲリラをしてい
たが、現在は新政府で議席を獲得。ただし当時軍に加わっていたものの、新政府からは
兵士として正式な認証受けられなかった人たちが、自らの主張のツールとしてバンダ
を頻繁に起こすようになっている。
ネパールの頭痛のタネの1つ。僕の1日も返して欲しい・・・。

2012年1月4日水曜日

細かいことは

毎日のように、
買い物や公共の乗り物の利用を繰り返している。


気が付くのは、端数を切り捨てながらの支払いだ。

たとえばバスやテンプーは1回13Rs、
でも妻と2人分は毎回25RsでOK。何も言わずに受け取ってくれる。

その代わり3人分まとめて40Rsを払うと、1Rsのお釣りは期待しない。
おばあさんが10Rs札1枚で済ませているのを見たこともある。




ある日のテンプー車内。














おおらかなのか、慌ただしさを少しでも和らげる工夫なのか、
はたまた計算が面倒なのか。

小さなコインをいちいち気にしていたらキリがないようだ。

そんなわけであまり触れられないコインの多くは
結構まだピカピカだったりする。

初めのころ、妻がスーパーで1Rsのお釣りを待っていたら、
レジの横においてあった飴玉をにっこり笑って渡された。

人は甘いものを食べながら、怒れない(笑)



近所のチヤパサル(茶店)にて

2012年1月2日月曜日

亜熱帯の日差しには


奄美大島と同じ緯度のこの街は、
太陽の強い光が木々の葉を突き抜けて、街の緑の表情を豊かにしている。

逆光に透ける緑の葉はとても美しい。
赤やオレンジの花々と鮮やかな対照をなしていて、
海は遥か遥か遠くなのに、
風景を切り取れば南の島にいるような
錯覚を覚える。

花の名前をどうやって調べようか。




















午後、陽が傾き始めると、
カトマンズは穏やかなオレンジ色の光に包まれて
時間がゆっくりと流れ出す。

長い夕方の始まり。
いつもとはまったく違う、新年の1日。



近所のカフェ。貴重な芝生。



光が強いと街中に“影”が多いのだ。当たり前だけど。


2012年1月1日日曜日

CLUB HIMALAYA で朝食を

ひとしきり朝日を撮り終わり、
ナガルコットの丘に建つホテル、“CLUB HIMALAYA”で朝食を。

ネパール食にやや飽きていたから、ふつうの朝食バイキングが特別に思える。


絶景。快晴。言うことなしの美味しいコーヒー。

ウェイターと仲良くなったら、3杯もお代わりのサービスをくれました。



一応5つ星とか











チベタンテイストの装飾もなかなか












しばしネパールを忘れる「普通」の味