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2015年4月21日火曜日

壁面広告+α

カトマンズから、リゾート地のポカラへ向かう道で、いつも興味深く思う事がある。

広告のスタイルだ。

ハイウェイ(といっても別に高架に乗っているわけではないし、料金もかからない

普通の道なのだが) 沿いに建つあらゆる家の壁の側面いっぱいに、

企業や製品の広告がペンキでべったりと描かれている。

塗料やセメント、ウイスキー、一番多いのはネパールの携帯電話最大手「Ncell」のもの。

進行方向に対してちょうどバスの窓からよく見えるようになっている。



ただ、商店の壁ならあまり不自然さは感じないが、商売などしていない

普通の民家だったり、牛の飼われている小屋だったり、個人所有の建物

割り切ってあれほど大きな広告に使い切ってしまうのは新鮮だ。





「マルチ」ブランドのセメント広告




最新技術と伝統のコラボ?



どんな隙間にも入り込むたくましさは常々感じてきた。

しかし今度は壁ではなく、Ncellのイメージカラーで、

とある集落の家の屋根をすべて統一しているのには驚いた。

Ncell村である。住民をよく説得したものだと思うが。
                    




よく見ると統一を拒んだ家も・・・





これだけではない。


ハイウェイは基本的に川沿いを走る。

流れ込む支流にかかる橋を渡る時、広い河原に目を送ると、そこにある巨大な岩盤にも、

ド派手な全面広告が施されているのだ。

無理なく視線を送った場所に広告があるのは、バスの乗客の目線を十分に研究しているか

らに違いない。



プリティビ・ハイウェイ。

広告に目を引く企業努力は、結構成功しているようだ。

本来はアンナプルナの山並みが、この道の魅力ではあるのだが。




Can't miss it...











2015年4月15日水曜日

サティ

公共の乗り物、例えばバスや電車に乗る場合、

後から来た人は先に座った人と適度な距離を取って、

等間隔に席を埋めていくのが常だ(と日本から来た僕は思っている)。



テンプー(電動3輪タクシー)に乗っていると、そんな常識はすぐに破られる。

座席の入り口は最後尾にあるのだが、冗談かと思うほど狭い。

それにいくらか車高があるので、腰の曲がったご老人、その他多くの方々は

躊躇いもなく、すでに座っている人の膝に手をかけてヨイショと乗り込む。

時には置いたその手を軸に反転して、ぴったりと横に座る。

まだ空席があるというのに(笑)


小さなテンプーはあっという間に満席。

今起きたことを消化する前にモーターは唸り、走り出す。

みんな、人との距離が近い。



ある日、珍しく乗客が僕一人だけの事があった。

ガタガタと揺れる事に変わりはないが、

ゆったりとしたスペースで、心地よく風に当たっていると、

遠くから一人の乗客が、乗車の意志を表しつつ走ってきた。

一番後ろの席に座っていた僕は、しばしのくつろぎの終わりを覚悟する。


ところが彼は助手席側のドアをコンコンと叩き、運転手はドアを開け、素早く隣に座らせた。

するとその乗客は、今日は暑いな、明日のストは中止だ、仕事を休めなかったから

仕方なく出て来た、などと矢継ぎ早に運転手に話しかけ、一方的にしゃべり始めた。

特に知り合いという訳でもなさそうだが、運転手はにこやかにそれを聞き、

時折合いの手を挟んでいる。

あっという間に、サティ(友達)なのだ。



ネパールの国民的歌手、ナラヤン・ゴパールの歌に、「エウタ・マンチェコ(たったひとりの人の~)」

という歌がある。

つまり、「たった1人の人との友情や愛が、人生に何と大きな違いをもたらすのだろう」という

趣旨なのだが、この歌をネパールの人たちは心から愛し、時に涙する。

家族を、友人を、深く愛する彼らの心をよく表したそんな歌だ。



そういう訳かどうなのか、この国では初対面の人とも普通に会話をする文化があるという。

乗り物に乗ったなら、思ったことを隣の人に語るのも、別に珍しくはない。

政治のこと、水のこと、暮らしのこと、そして家族のこと。

話したい時、空いた席を避けて誰かの近くに座ることも、たぶん選択肢のひとつなのだろう。

みんな、サティが必要なのだ。




日本の電車で、隣の人に話しかける事のハードルがこんなにも上がったのは、

いつからだろう。

そう考えていると、誰かがまた膝に手をかけて、乗り込んできた。





空席には目もくれず、助手席に滑り込む



 

今や無二のサティ、ダンプ




















2015年4月12日日曜日

雨季の走り

6月は梅雨の日本だが、南アジアにやってくる季節風(モンスーン)は、

梅雨よりもはるかに長い雨季をもたらす。

4月の今、毎日夕方になると遠雷が聞こえ、生暖かい風が吹いて、霧雨のような雨が降ることが

多くなっている。プレ・モンスーンとでもいおうか。

今年はいつもよりもこの季節が早く訪れているようで、

霧雨を通りこした豪雨と雷で大荒れの日も時にある。



カトマンズでは、亜熱帯性気候の中で大きく大きく育つ樹が多い。

風雨に揺れる大木の様子はなかなか見応えがあるもので、

嵐が来ると毎回この世の終わりかと思われるほどの勢いだ。


しかしそんな嵐も長くは続かず、数時間経つと、大気は見事に洗われて

澄み渡る星空が楽しめる。

そんなメリハリも、この国の魅力の一つだ。

            
巨木の街、カトマンズ


アンナプルナ・サウス。トレッキングはお預けのこの季節。。















 

2015年4月8日水曜日

ボス!ダンプ!ボス!その2


毎日ドアの向こうにいる彼とは早めに折り合わないと、

外出時に毎回冷や汗をかき続けることになる。とはいえこの異国で犬に襲われた場合の厄介な手

続きを想像すると、どうしても腰が引ける。

犬は怖気づいた人間をすぐに見抜く。

この悪循環を断たねば。



そんな時、アメリカから帰国した大家さんの息子がやってきて

「ノブ、ダンプと仲良くなる鍵はだな・・・」 と言いながらビスケットを一袋手渡してくれた。


「食い物だよ。」


普段はネパールにおらず、2、3年に1度しか帰国しない彼も、

自分の事を忘れるダンプに悩んでいたらしい。

1度は咬まれたこともあると聞いて驚いた。



彼は僕を庭へ連れ出し、寄ってきたダンプに向かってビスケットを見せる。

「ボス!(座れ!)、ダンプ!ボス!」 と叫ぶと、T-REXダンプの目の色が変わる。


芝生の上に即座に座り、大根よりも大きな尻尾を千切れんばかりに振っている。

そのせいであたかも周囲に強い風が吹くようだ。

クッキーを与える前に、頭を撫でて 「ハート!(お手!)」と言うと1回で巨大なダンプとの握手に

成功した。


彼はダンプの手を握ったまま得意そうに笑い、ビスケットの持つ力を証明。

お前もやってみろと合図する。


僕は腰が引けたまま、ビスケットをやや大げさに掲げて、

「ボス!ダンプ!ボス!」 と叫ぶ。ネパール語で育ったダンプには「お座り!」は通じない。


次の瞬間、ダンプはさっきと同じように座り、子犬のような表情でビスケットを欲しがった。

「ハート!」の言葉にもすぐ応じ、巨大な前足を僕に差し出す。

「やった!」思わず出た日本語に怪訝そうな表情を見せるが、

恐る恐る頭を撫で、頬を撫で、顎をさすってやると目をつぶり、気持ちよさそうな表情になる。



数枚のビスケットを受け取ったダンプはその日から明らかに僕を友達と認め、

あの恐ろしい眼をすることは無くなった。


僕のネパール語の発音が悪いと、言う事を聞いてくれないから、

ある意味良い練習にもなっている。


恐怖の数日を終わらせたのは、たった数枚のビスケット。

誰でも克服できそうなセキュリティーホールの甘さにやや心配にはなるのだが、

少なくともこの巨大な友達と良好な関係を築けたことを、喜ぼうと思う。



                    
単純だが愛すべき…













2015年4月2日木曜日

参りますとも

カリボット、という場所へ行かなければならなかったのだが

行き方がわからない。

大体のところを人に訊いてから出かけるものの、

やはり途中でまた誰かに訊ねることになる。


縦横無尽のマイクロバス路線、行き先プレートがあったりなかったり、

目的地を叫ぶバスのカラッシー(車掌、とでもいおうか。中学生くらいの子供が多いのだが。)も

きちんとそれを発音してはくれない。というか聞き取れない。



停まって欲しいオーラを出しつつ路傍に立っていると、

バスは速やかにスピードを落として近づいてくる。

“カリボットに行くか?”バスを指さして訊いてみる。カラッシー首を振る。

次も同じ。

3台目でようやく首が横に傾く。(参照:首をかしげて)乗れと身振りで示されバスへ。


カリボットがあると思われる道で曲がらなかったので、

念のため再度“カリボットへは行くんだよね?” と確認。

カラッシー大きく首を傾けて “ジャンチャ、ジャンチャ(参りますとも)”と繰り返す。


しかし、である。(最近これが多い)

カリボットは空港までは行かない、と聞いていたので、

カラッシーが開けたドアの頭上に小型飛行機がかすめて飛んだ時、悟った。

カトマンズには“カリボット”がまだ他にもあり、僕はそこに連れて行かれるのだと。

こうなれば、そっちの“カリボット”をこの目で見てやろう、

などとつまらない意地でそのまま乗っていくことにした。(本家カリボットも知らないくせに)



15分後、特にどうということもない、工事中の広い道路の広がる“カリボット”に降り立ち

どうやって帰ろうかと考える僕がいた。



発音は通じるようになっても、まだまだ街のことを分かっていないから

こんなことになる。

適当に乗ったテンプーは馴染みの街へ。
無事に帰れましたとさ。



2015年3月28日土曜日

ボス!ダンプ!ボス!その1


ネパールだけの話ではないが、

大家さんが自分の住宅の一部分を、フラットとして貸しているケースが多くある。

我が家も最近そんな場所に越してきた。


大家さんの敷地に出入りする人は多く、

フラット住まいの我々はその中の一員のように感じる事がある。

プライバシーが無いように見えるかも知れないが、

新しい人間関係に溶け込み、笑顔であいさつし、言葉を交わすことが、

1日を自然と明るく健全なものにしてくれる。


しかし、である。

人間関係ならぬ大家さんの飼い犬との関係には、正直やや怖気づいた。

巨大なオスのシェパード「ダンプ」は、立ち上がれば僕の肩に手(前足か)をポンと置けるほど

大柄で、なんだか瞳孔が小さめで金色に見えるその眼は、ジュラシックパークのT-REXを彷彿とさ

せる、と言っても過言ではない(過言かも知れないが。)。


かつて僕らが育った時代の犬は、見知らぬ人には吠え猛り、

飼い主が抑えようが叱ろうが、退治するのはこの俺だと言わんばかりで

最強の防犯ツールとしての役割を担っていたと思う。


ダンプはそんな番犬の古典的役割を期待されて育っている。

(ネパールで犬を飼うとは往々にしてそういう事だ。)

初日、恐る恐る声をかけた時の彼の唸り声は忘れることができない。

2m先からでも地面を伝わる、巨体に反響する低い声は、ジュラシックパークのT-REXを彷彿とさ

せる、と言っても過言ではない(過言かも知れないが。)。

で?

<続く・・・>

















 

2015年3月26日木曜日

アンナプルナの山々に8



予期していたほどの筋肉痛はなく、

目覚めは爽快だった。

今の時期のカトマンズでは感じることのない冷気。

大きく伸びをして起き上がり、2つの肺のすみずみに空気が入るイメージをしながら

窓際で深呼吸をすると、意識が急にしっかりとする。

宿の前の道を、背中に荷を満載したロバの行列が駆け抜ける。


コーヒーと、トーストと、スクランブルエッグ。

手作りのジャムとバターで頂いてさらに目が醒めた。

ディパックが笑顔で数字を言いながら請求書を作る。

お金を渡し、握手をするとその手を離さないまま話し続ける。

今日は登りのきつい石段があるからあまり無理をせず、

疲れたらポニー・サービスもあるよ。1人120ドルだけど、ワハハ!

などと相変わらずのディパック節に元気をもらう。

“フェリ・アウノス!(また、来てくれよ)、ナマステ!”



今日は一番の長丁場、ゴレパ二の街へと足を踏み出す。

ピークを越えると最初のヒマール(白く雪を被った山)が見えるはずだ。




カウベルならぬロバベル?がカランカランと山間に響く











 

2014年3月8日土曜日

アンナプルナの山々に7



心もとない作りの階段がたわむ。



冷たい手すりを握ったまま、凄まじい数の星にただ目を奪われた。


ハワイ島・マウナケア山で観た星の2倍とは大げさだが、

白い素地に黒い点が散らばっていると言っても過言ではないと思う。

妻を呼ぼうと思っても、暗闇の中で目に集中した神経は、声を出す力さえ分けてくれない。


深く息をしても鼓動は強く、階下の宴会の声よりも頭に響く。






やっとの思いで部屋へと戻り、手招きで呼び寄せて妻と二人、空を眺めた。

これ以上の空を、次に見れるのはいつか。

圧倒的な、圧倒的な宇宙を前に、

本当に小さくて、短い自分の人生を思う。


 

2012年10月21日日曜日

イミグレの憂鬱





ここに来た時はいつも、

自分が他所から来た人間であることを強く意識させられる。

ネパールのイミグレーションオフィス(移民局)。

ビザ更新や切り換えのために、これまで数回訪れている。




特に理由もなく“来週また来い”とか、

長時間並んだのに、目の前でカウンターが閉じるとか、

どんな理不尽を目にしても、ここではみんな大人しい。

とにかくビザを貰わなくてはいけないから。




やや言葉をはばかりながら言うと、

残念ながらネパールの役人さんたちの多くは、

正直さやプロ意識をすっかりお忘れになっていて(笑)、

“居住”という最低限度の権利を望む外国人たちに、

結構大胆に正規料金「以外」のものを公然と要求したりする。



これだけ払えば順番を早くしてあげるよ、とか、

書類の不備も見逃してあげるよ、など

座っているだけで、彼らにとってのいわゆる“チャンス”が

いくらでもやってくる。





ある国の人たちは、微塵の躊躇いもなくそれに応え、

輝くビザのシールにオフィサーのサインを手に入れる。

行列する皆が見守るなか、えんじ色のパスポートを鞄に仕舞い、

彼らは真っ先にここを去っていく。




誰かが抗議をする訳でもなく、

いくらかの羨望と失望が入り混じった空気が流れるだけだ。






ネパールとなると、人種のバラエティに加えて

そのメンツもユニークになる。


自分探し系の若者はもちろん、

腕っぷし屈強な山岳おじさん系、

トレッキングを続ける、ブロンドのお洒落な山ガール(古い?)系、

白くて長い髭を蓄えた、よれよれのタンクトップのヒッピー仙人系。




あらゆる人種の、これまたいろんなタイプのヒトビト。




その全員が一様に大人しく、時に歯をくいしばり(笑)、

印象よく笑顔を浮かべようとする絵はなかなか得難いものだなぁ、

などと考えながら、ここでの憂鬱を紛らわしている。





悲喜こもごもの、移民局



           








 

2012年10月14日日曜日

カトマンズで、石窯ピザを



用事が終わり、いくらか時間があったので、

前から気になっていたイタリアンレストラン “Roadhouse Cafe” に行ってみた。


ウォルナットか、落ち着いた色の床と調度品に

ここがネパールであることをちょっと忘れてしまう。


客のほとんどは欧米からの人々で、

街中よりもリラックスした顔で、もぐもぐ食べながら

一生懸命英字新聞を読んでいる。

彼らにとっての、“普段” を味わっているように見える。





バーカウンターも




日差しを歩いて疲れたところで、

冷たいビールを頂いて、席からよく見える石窯で焼いたピザが出てくる。



バジルの香りもしっかり。香ばしいチーズにコシのあるピザ生地。

オリーブの実に詰まった酸味も、快い。


ソースの味も、嫌味のない自然なものだ。


街の食堂で「ピザ」と銘打ってあるそれとは

全く違う、本当に美味しいマルガリータ。



蒸したチキンを削いで、新鮮なトマトや青野菜と巻いた、

“チキンラップ”なるものをドレッシング風のソースにつけて齧る。




歩いたあとのビールは、こたえられない。

焼きたて、直径30cm。




この国で必ず入る香辛料とは

一切関係のないひと時。


たまにはいいもんである。




後発国であっても、ここは人口300万の首都。

もちろん日本ほどではないものの、

外国人を楽しませるものは結構何でも揃っている。







13%の税金も、もれなくついてくるけれど。




これを見ながら食べるのも、楽し。