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2012年7月30日月曜日

アニーシャの歌声




階段を登りながら、降りながら。

空に昇っていくような、本当にのびやかな歌声で、

我が家の前をいつも通っていく女子学生がいる。



紅茶の産地、イラムからやってきたアニーシャだ。

国立トリブヴァン大学に通っている。


小さな村から、しかも女性では珍しい工学部の学生で、

驚くほど流暢な英語を話すところを見ると、かなり優秀なんだろうけど、

気取ったところが微塵もなくて、いつも明るい笑顔で近づいてくる。




ある時妻が、日本のカレーを食べないかと誘うと、

いとこのスナム君と一緒に来てくれた。




屈託のない2人と楽しい会話ではずむ合間にも、

アニーシャは綺麗な歌声でハミングをしている。

本当に歌が好きなのだ。





一度ここで、好きな歌を歌ってみてよとお願いしてみると、

急にはにかんで躊躇う。



そして短い説得(笑)の後、彼女は呼吸を整えて、

ネパールの古い歌を静かに歌い始める。少しばかり震える声で。



やがて歌声はしなやかに安定し、ひんやりした夜の空気に響きはじめる。




絵が、見えるのだ。

少し翼の大きな鳥が、おおらかに滑空をしたかと思うと、

すばやく高度を上げてはまた、降りてくる。

時にすばやく、時にゆるやか。変幻自在とはこのことだ。

流線の体に、一切の空気抵抗も感じずに、目の前を流れ飛んでいくような。

後ろには、ヒマラヤ。曇りのない、夕焼けの空を想わせる。




少しばかりわかるようになったネパール語を追いかけるのをもう止めて、

ただ見飽きることのない映像に、僕らは言葉も出なかった。




歌い終われば、彼女はいつもの笑顔で恥ずかしそうに笑う。




食事の後、彼らは今度故郷のイラムに一緒に来ないかと、誘ってくれた。




彼らが「楽園」と呼ぶその村で、この歌声を聴いてみたい。



雨季の晴れ間の、澄んだ空。




















2012年7月22日日曜日

クロちゃん



最近、犬を飼い始めた。




とは言っても、野良犬の1匹に名前をつけただけなのだけど。








クロちゃんがアパートの踊り場に泊まりに来るようになって、しばらく経つ。





3ヶ月ほど前のある夜、家の扉が何かに引っかかって開かないので、


無理やりドアを開ける。


何か黒くて丸いものがズルズル、と向こうへ動いたかと思うと、

暗闇の中でのそりと立ち上がり、面倒くさそうにこっちを見ている。

こちらはぎょっとするのだが、また何事もなかったように、身体を丸めて寝てしまった。

・・・以来のことだ。




極めてもの静かなタイプで、近所でもずいぶん愛されている。

餌をもらってはいろんな家の前で、番犬の“フリ”のバイトをしている。



けれど帰ってくる僕らを見つけると、耳と尻尾を静かに振りながら、一緒についてくる。

雨季の今は何より、雨をしのぐ屋根が大事な訳で、

誰と仲良くすれば良いか、じゅうぶんに心得ているからだ。




いくらか遠慮がちで、吠えもせず、困った顔で見つめられると、

僕らはスーパーで思わず、“ぺディグリーチャム”なんかを買ってしまったりしてしまう。





そうこうしていると、茶色の可愛い彼女を連れてきた。

 数メートルの距離を置いて、上目づかいで、

あのぅ、できればこの娘も泊めてやって欲しいなぁ、というアピールを静かに始める。


あっ、でも無理ならいいんです、

別のところで寝ますから的な「引き」も忘れないから、こっちも辛い。




しなやかに生きるカトマンズの犬たちに、

今のところやられっぱなしの、妻と僕。


今日もふらりとやってきて・・・



重力に、すべてをゆだねる。大の字ではなく、「ヒ」の字になって。





















2012年7月16日月曜日

興味津々


伝染病がある、とか脅されるので、

玄関に提げて、蚊の類を寄せつけないようにする

いわゆる"虫コナーズ"というのを、日本から持ってきた。








使い始めのタイミングが分かるよう、



“お取替えカレンダー”と称して


表面に小さなダイヤルのようなものが付いている。

これが毎回見るたびに、最初の設定から動かされている。


妻と一緒に、何でだろう、誰だろう?と首を傾げていたら、

ある日犯人を発見。上に住んでいる、イラム出身の青年だった。






ヒンズー教のお札が、軒並み玄関で飾られている中で、

どうしてこの日本人の家には、同じくらいの大きさのプラスチックの“お札”が吊っているのだろう、

と常々思っていたらしい。


説明したら、謎が解けてスッキリしたと喜んでいた。





いろいろな場面で気付いたのはネパールの人たち、

何か興味を惹くものがあると、とにかくじーっと見とれたり、

手を伸ばして確かめようとする。





歩く僕らを、じぃっと見るのは日常茶飯事。

バスで財布を広げると、中身を覗き込んで来る人。

わざと彼らの顔を覗き返すと、はっと気づいて、お互いニヤリと笑う。

レジで清算する商品をカウンターに並べていると、

後ろにいた人が勝手に手に取ってしばらく眺め、

何も言わずに戻したり。



その時生まれた小さな衝動に、我を忘れては忠実に従っているようだ。

なんというか、幼子のように(笑)








しばらく後で、またダイヤルが動いているのを発見。

いまだ犯人はわからない。


虫~は玄関から♪

このダイヤルが見る度に。






2012年7月13日金曜日

電気ポットとクレジットカード


商品の故障、交換、クレームその他。

消費者の権利、というものがおおよそ重視されない。

返品して現金を返すなどは論外。

だからそういう交渉事をなんとなく諦める体質になっている。

でも今回はちょっと違う感じの展開になった。






1つ目。

電気ポットが故障したから、“一応”持っていった。

付き返されればほかの店で買うまでだ、と

いくらか強めの口調になる。



「数日で連絡します。」とのこと。




このまま電話がなくても、別に驚かないつもりだったが、

5日目に本当に電話があり、

「新しいものが届きました。すぐに取りに来てください。」






翌日。

店で担当と思しき青年に近づくと、満面の笑みで、

「Mr.〇〇、ご準備できております。」

というか、何だこの丁寧さ。


そしてあの壊れたポットが電源につながれて、

赤いランプを点けている!



確かに直っている。新しくはないけれど・・・。

いくらか得意げに、青年はまだ温かいポットを袋に詰めて、渡してくれた。






2つ目。

スーパーでビールを買い、クレジットカードを差し出した。

レジ裏の通信機から女性店員が戻ってきて、

「無効なカードだ。通らない。」と返される。

抵抗するのも虚しいので、おとなしく現金で支払った。





後日、カード利用を知らせるメールが来る。しっかりクレジットカードが通されていたのだ。

大した額ではないものの、2重で請求されるのは悔しいし、

何より使っていないはずのカードが通っているのは無視できない。


これはおかしい、サインをしていない、当日の記録を確認してくれ。


外人のクレームを店長は穏やかに迎え、

彼の名前、携帯番号を素早く書いて渡してくれた。明後日に連絡する、とも。

この対応にも内心あ然とする。

「話が通じてる・・・。」




再度来店してみると、

その日に売り上げた全部のクレジット伝票の束を持ってきて、一緒に確認しようと言う。

しかしどれだけ見ても、僕のカード情報は出てこない。



彼によれば、店員はカード通信機にカードを通したが、

最終的な決済処理はしておらず、

操作は未完了だったようだ。ただ、クレジット会社にだけは情報が流れていったから

請求予告に出てしまったのだろう。だから私が保証する。

君の銀行からその金額が引かれることは、決してない。

もしそうなったら、もう一度ここへ来て欲しい。


・・・・ということを、懇切丁寧に、穏やかに、時間をかけて、説明してくれたのだ。

あ然、とする。

「また話が、通じてる・・・。」


呆気にとられたまま、握手をして、別れた。







結果は・・・といえば、ポットはその3日後にまた壊れ(笑)、

クレジットカードはしっかりきちんと、2重請求になっていた。





何となく分かってた結末だけど、

今回はいくらかの“変化球”を、楽しんだ・・・という事にしよう。



暇があれば、屋上で空ばかりを。






モンスーン時期の夕焼けは、息を呑むほど美しく・・・




バナナの葉っぱも元気です。





























2012年7月8日日曜日

夏の恵み




行商が、季節の果物を売って近所を歩く。

直径1m、高さ50cmほどの網カゴが、自転車の後ろに取り付けられていて、

3週間くらいの間隔で、積んでいる果物が次々と変わっていく。

カトマンズの、亜熱帯らしい風景の一部だ。




もちろん店先にならぶ果物も、彩りを次々と変える。


次には何が来るのだろうという、期待をいつもしている。

いろいろな品種の細かいことは知らないけれど、

 果物が大好きな妻は、毎日本当に嬉しそうだ。




黄色に始まったマンゴーが、今は緑に。

シーズンの始めから旬に差しかかると幾分値段は上がるものの、

ネパールでは驚くほどの甘さのマンゴーが、

1kgあたり今は70NRsから80NRs(70円~80円)。



毎朝の朝食にも頂いて、おやつにも頂いて、夕食後のデザートにも頂いて。




鮮やかな色、手に持っただけで漂う甘い香り、ずしりとした重み。




プレイステーションもWiiも持たない子供たちが、

この季節の恵みを、笑顔で両手に抱えている。







見た目は素朴な。 Jack Johnsonを聴きながら食べると、気分はハワイ(笑)





















2012年7月4日水曜日

モンスーンが来て



中学のときに習った“モンスーン”は確か、“季節風” としか説明されなかったけれど、

世界の各地にそれぞれのモンスーンがあるらしい。


ここに吹くのは、いわゆる“インドモンスーン”で、インド洋からの暖かい湿った風だ。



ただ、ちょうど日本人が “梅雨”という言葉を使うように、

ネパールでは、“モンスーン”は単純に雨季を表す。


日本の梅雨よりもはるかに長く、これから9月の半ばまで続くそうで、

年間降雨の4分の3はこの時期に降ってしまうのだとか。







そういう訳で、結構な雨が毎日降っている。

夜中から朝にかけて、はたまた日中突然に。





雨は長時間降り続くことはあまりなく、断続的だ。

1時間、2時間と降ったあとは、強烈な日差しに素早く地面が乾き、

すぐにも風が地面の塵を、巻き上げる。


低く、地表にからんだ雲が、緑の山々にくっきりした影を落とす。





遠くはいつも霞んでいるから、

その向こうにヒマラヤが見えていた頃を、時折忘れてしまいそうになる。

秋までは多分もう見れない。




水と電気がずいぶん戻ってきた。

今後しばらく、蛇口をひねれば水が出る。

スイッチを入れれば灯りが点く。

冬を越えた今では、

1日5時間の停電にも、不自由のない暮らしができる。


雨に霞む。オレンジの屋根はカトマンズ・ハイアット。


インドハッカの夫婦。雨の合間に。


















2012年7月1日日曜日

アンナプルナの山々に2

出発直後の腹ごしらえに、やや重い身体でパサル(店)を出る。

アヒルの赤子たちに見送られて、いよいよトレイルに。

今日は標高1500mのティルケドゥンガを目指して歩く。



保護色?近づくまで存在に気が付かず。




ヒマラヤの高地民族グルンの様式は石の多用が特徴だ。

家、蔵、そして石畳と、独特な雰囲気に気分も高揚するが、

ほどなく砂利道にかわり、ここから延々と同じような道と景色が続く。




集落を抜けると、とたんに静かになり、崖下を流れる渓流の音が上ってくる。

まだはるか前方なのに、こちらに向かうロバの鈴が、

切り立った斜面に反射しながら聞こえてくる。

カトマンズでいかに騒音に囲まれていたかに改めて気づいた。




やがて近くの集落(といっても結構な距離だが)から出てきた

シェルパ族の子供たちが近づいてくる。

トレッカーたちにお菓子やお金をねだるのだ。



日本人によく似た顔立ちに他人とも思えず(笑)、

「大人になって、働いてお金を稼ごうな」

などと説教くさいことを言っては、やり過ごす。                                     



妻に駆け寄る、シェルパの子供たち。
妻を見切った後(笑)、こちらにやってきた。



























ある事に気付く。


この道から枝分かれして、いくつもの集落があるのだけれど、

そこから来る人みんなが、(小さな子供からお年寄りまで)

両肩からたすき掛けになったような服(?)を身に着けているのだ。



そして僕らを追い越していく人々の後ろ姿に、

その理由がわかった。




山を下りては登る度に、決してむなし手で帰らないために、

その服の背中の空洞に、何某かのモノを入れているのだ。


缶詰。果物。野菜ときにはニワトリを(笑)。


左右均等に重さを分散できるから、体力も温存できそうな

元祖バックパック。



高地に暮らす人々のシンプルな知恵に感心し、

また、歩きだす。

最初はユニフォームかと。