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2015年4月15日水曜日

サティ

公共の乗り物、例えばバスや電車に乗る場合、

後から来た人は先に座った人と適度な距離を取って、

等間隔に席を埋めていくのが常だ(と日本から来た僕は思っている)。



テンプー(電動3輪タクシー)に乗っていると、そんな常識はすぐに破られる。

座席の入り口は最後尾にあるのだが、冗談かと思うほど狭い。

それにいくらか車高があるので、腰の曲がったご老人、その他多くの方々は

躊躇いもなく、すでに座っている人の膝に手をかけてヨイショと乗り込む。

時には置いたその手を軸に反転して、ぴったりと横に座る。

まだ空席があるというのに(笑)


小さなテンプーはあっという間に満席。

今起きたことを消化する前にモーターは唸り、走り出す。

みんな、人との距離が近い。



ある日、珍しく乗客が僕一人だけの事があった。

ガタガタと揺れる事に変わりはないが、

ゆったりとしたスペースで、心地よく風に当たっていると、

遠くから一人の乗客が、乗車の意志を表しつつ走ってきた。

一番後ろの席に座っていた僕は、しばしのくつろぎの終わりを覚悟する。


ところが彼は助手席側のドアをコンコンと叩き、運転手はドアを開け、素早く隣に座らせた。

するとその乗客は、今日は暑いな、明日のストは中止だ、仕事を休めなかったから

仕方なく出て来た、などと矢継ぎ早に運転手に話しかけ、一方的にしゃべり始めた。

特に知り合いという訳でもなさそうだが、運転手はにこやかにそれを聞き、

時折合いの手を挟んでいる。

あっという間に、サティ(友達)なのだ。



ネパールの国民的歌手、ナラヤン・ゴパールの歌に、「エウタ・マンチェコ(たったひとりの人の~)」

という歌がある。

つまり、「たった1人の人との友情や愛が、人生に何と大きな違いをもたらすのだろう」という

趣旨なのだが、この歌をネパールの人たちは心から愛し、時に涙する。

家族を、友人を、深く愛する彼らの心をよく表したそんな歌だ。



そういう訳かどうなのか、この国では初対面の人とも普通に会話をする文化があるという。

乗り物に乗ったなら、思ったことを隣の人に語るのも、別に珍しくはない。

政治のこと、水のこと、暮らしのこと、そして家族のこと。

話したい時、空いた席を避けて誰かの近くに座ることも、たぶん選択肢のひとつなのだろう。

みんな、サティが必要なのだ。




日本の電車で、隣の人に話しかける事のハードルがこんなにも上がったのは、

いつからだろう。

そう考えていると、誰かがまた膝に手をかけて、乗り込んできた。





空席には目もくれず、助手席に滑り込む



 

今や無二のサティ、ダンプ




















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